ひとり~(その2)

なんだか、お気遣いコメントをいただいたようで、有り難く、恐縮である。
落ちこぼれ見守りパトロール隊のような、
「目指せ、いじけっ子ゼロ」キャンペーンに関わるボランティアさんのような・・・。
このパターン、どこかで経験した覚えがある。
そうそう・・・
学生時代の友達たち。
なにを隠そう・・・わたしは、学生時代の友達をすべて失っている。
ゼロからの出発なのだ。
なぜ、失ったか・・・・・
自分でそれは、よーく理由がわかっている。
が、書かない。書く必要もない。
身から出た錆、自業自得、の類であろう。
すべてリセットして、一から出直した。
(ブログは、リセットせず、延々、恥ずかしげもなく同じブログをやっているが)
充分、反省もした。
わたしのものの見方、感じ方、考え方が、間違っていた。思い違いをしていた。
人間が出来ていなかった。
だが、新しく友だちを作ろうという気がない。
気付いたのだ。
わたしは、ひとりのほうが向いているって。
気楽だ。
なぜかというと、わたしには気配りが足りない。
気遣ってくれる人は常に気遣う役で、気遣われる側は常に気遣われる側。
こんなのじゃあ、アンフェアである。
一方的すぎて、気遣う側が疲れる。消耗する。やってられない。
ただし、義母とわたしは、この永遠のアンフェア普遍法則(「give&give」 と「take&take」)に則った中にいる。
摩訶不思議。
気遣うのが義母、気遣われるのが、わたし。
彼女は、疲れないのか? 見返りを求めないこころの持ち主だ。
わたしは、「感謝のこころ」で、お答えするだけだ。
しかし、気持ちはそうでも、時折メールでそう伝えるだけで、「糠(ぬか)に釘」、「のれんに腕押し」の、わたし。
義母は、もう、限界にとっくに達していて、諦めているのかも知れない。
とかなんとか言っても、我々には、暗黙のルールがあるのだが。
義母は、わたしに保険をかけていて、わたしは、保険をかけられている。
掛け捨てと貯蓄型のミックス版。(実際の生命保険ではない)
「恩」と、「恩返し」、という、保険の方程式。
恩をあだで返すというような、非人間的なことは、絶対にしたくないと、わたしは思っている。
しかし、この恩(情け、とも言える)、お返しもせずに、どんどん積み重なると、
真綿で首を絞められるように、結構ツライものがある。
まあ、現実的には、経済的な流れがルールの基盤となっている。
なので、一方方向ではなく、バランスは取れている。
口だけではだめ、出すものを出さないと円滑に回らない。
販促システムで、ポイントを有効期限内に使わないと失効する制度があるように、
ある程度の期間がくると、一度、恩を精算しないと、後々、恐ろしいことになりそうな気がする。
これは、家族だけでなく、友人関係においてもだ。
友人関係は、破綻するだけだが、
家族は、破綻しても離散するわけにもいかないし、破綻は絶対に避けたい。
なので、顔を恐る恐る伺い見て、状況をチェックしている。
ほっておいて、大きな請求書が来るよりは、小まめに様子を見たほうが、安全、安心だ。
双方、風通しも必要。
以上は、べつに、今回、言いたかった内容ではなくて・・・
友人としてのお付き合いの話。
わたしは、もともと気遣うということが出来ない性質のようだ。
努力して、最低限度、気遣おうとするのだが、途中で息切れする。
で、グループからは当然、脱落する。
あ・・・ひとり・・・になっている。
協調性が欠如している。
学生時代の仲良しグループが事実上、消滅したあと(決して自然消滅ではない)、
グループ同士でお付き合いしていた別のグループと、わたしはお付き合いをし始めた。
それは、学校を卒業して30年近く経ってからだ。
でも、やっぱりだめだった。
結婚祝い、改装祝い、なんとか祝い、香典、・・・なんやらの会・・・
会う、会わないとは別にした、時間とお金が必要。
そういうお付き合いは、わたしは好きでないことがわかった。
親戚付き合いだけで、充分、こりごりだ。
皆と会うにしても、正統派の皆々様、服装のひとつも気にかけなければならない。
時間を合わせるのもさることながら、めんどくさいのである。
なのに、これといって別に得るものは、ない。
なんのための、お付き合い?
でも、それはそれ。
当然の結果である。
だから挽回しよう、とか、あまり思わない。
自分には自分のスタイルがある。
切っても切れない親戚の冠婚葬祭がらみは、まあ、よしとしよう。
自分の実家サイドなら、喜んで、お付き合いしている場合もある。
が、自由に選択できる友人関係において、
友人たちのお子さんが結婚したり、お孫さんが生まれたり、親御さんが亡くなったり(しかも義理の)
皆、同じようなコースを辿っているのに、いちいちお祝いしたり、されたり、内祝いしたり、
喜びを分け合い、悲しみを半減させ、といっても、気持ちをお金やモノで表すのは、いかがなるものか。
なので、付き合わないほうが、諸々の事情を知らないで、ずっと気楽。
(ひょっとして、「形式的なことは、もうやめましょう」、と、新たなルールが作られたのかも知れないが)
そんな付き合いをしない友人付き合いもある。
背景や家族はまるで関係ない、個人同士のお付き合い。
たまたま、わたしの学生時代の隣グループの友人たちは、めんどうな付き合いをしていた。
それもあって、わたしは、脱落したように思う。
リアルはリアルで、いろいろあり、
ネットは、ネットで、いろいろあるようだけれど。
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